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土井正三監督から投げつけられた帽子「俺のサインに不服か?」 終焉覚悟したプロ人生の危機 南牟礼豊蔵
2022年12月14日 18:10
[なんじぇいスタジアム@なんJまとめ - オリックス・バファローズ]
抜粋
転載元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1670991869/
1: マングース ★ 2022/12/14(水) 13:24:29.27 ID:X/CFertg9
1981年ドラ3で阪急入団の南牟礼豊蔵氏…厚かったレギュラーの壁
こんなはずではなかったのに……。1981年ドラフト会議で阪急(現オリックス)に3位指名されて入団した南牟礼豊蔵外野手は、プロ野球の厳しい現実を目の当たりにした。「期待されていると思っていたけど、とんでもなかった」。
自分で練習して這い上がっていくしかない世界。
必死になって食らいついていったが……。
球団が阪急からオリックスになり、監督も上田利治氏から土井正三氏に変わっていった中、ついに決定的な出来事が起きてしまった。
社会人野球・電電九州に残るつもりだったのが、阪急のスカウトに「上田監督が欲しがっている」などと猛烈に口説かれて、ドラフト1位選手を上回る好条件まで提示されてプロ入りを決断。
希望に満ちあふれて、ブレーブスのユニホームに袖を通した。
それが「監督には名前さえも覚えられていないし、背番号か、あんたってしか呼ばれなかった」というまさかの展開。
悔しい思いの連続だった。 「石嶺(和彦)がティーバッティングをしていて、それを(打撃コーチの)長池(徳士)さんが指導していたので、俺も教えてもらおうと思って、バットを持って待っていた」。
終わったタイミングで「長池さん、お願いします」と頭を下げると「おう、ボール、拾っとけ」。
言われた通りに動いた。だが拾い終わると、もうそこには誰もいなかったという。
「プロ野球って自身の力を発表する場所で、習得するのは見えないところでやるんですよ。人に教えてもらうのではなく、まずは見て覚える。そういうことなんです」。
屈辱的な気分だったが、切り替えるしかない。
とにかく練習するしかなかった。
だが、レギュラーの壁は厚かった。「必死にやったんですけど、福本(豊)さんとか簑田(浩二)さんとかを抜くのは難しいってだんだんわかってきて……。
1軍に行くと守備要員と代走要員。代打で出たらバント、バスターみたいな感じだった」。
そんな状況で時間が経過していった。
91年に土井正三監督が就任…送りバントでの“動作”が怒りを買った 阪急は1989年にオリックスになった。
その後、ブレーブスがブルーウェーブになり、1991年シーズンには元巨人のV9戦士、土井氏が監督に就任した。
「その頃は福本さんも引退していたし、簑田さんも巨人に行っていた。これがラストチャンスかなって思っていたんですが……」。
南牟礼氏は土井監督と波長が合わなかったという。
「正直、巨人の話ばかりするので、うっとうしかったんです」。
土井監督のノックも「ここは巨人じゃないぞぉ」とやじりながら受けていた。「みんなわーわー笑うし、調子に乗ってぎゃーぎゃー言っていたんです。
土井さんもどんどんエキサイトして、僕はレフトにいるのにセンターに打ったりしていましたね」。
そんな状況でも開幕1軍を勝ち取ったが、すぐに“事件”が起きた。
日本ハム戦の8回無死一、二塁。代打で出て送りバントに失敗。シフトを敷かれたため、いったんバットを引いてからバントを試みたが、うまくいかなかった。
試合後、コーチ室に呼ばれた。 部屋に入ったら、
土井監督から「お前、あれは何のサインや」と聞かれた。
「送りバントです」と答えると「ここにいるコーチ全員がそう見えないんだよ。俺のサインに不服があるのか!」と帽子を投げつけられたという。
そして「『俺の目の黒いうちは野球できないようにしてやるからな。覚悟しとけ!』って言われたんです」。
南牟礼氏は「あの時は、終わったと思った。女房にはクビかもしれんって電話しました」と振り返る。だが、この一件の後、“念願”がかなうことになる。
11/30(水) 7:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d29b29d938af19737ff7a7295da29fd039760bdc
https://i.imgur.com/lrbPEWN.jpg
https://youtu.be/AD1D92ESdok
南牟礼豊蔵 中日
https://npb.jp/bis/players/31033865.html
成績
こんなはずではなかったのに……。1981年ドラフト会議で阪急(現オリックス)に3位指名されて入団した南牟礼豊蔵外野手は、プロ野球の厳しい現実を目の当たりにした。「期待されていると思っていたけど、とんでもなかった」。
自分で練習して這い上がっていくしかない世界。
必死になって食らいついていったが……。
球団が阪急からオリックスになり、監督も上田利治氏から土井正三氏に変わっていった中、ついに決定的な出来事が起きてしまった。
社会人野球・電電九州に残るつもりだったのが、阪急のスカウトに「上田監督が欲しがっている」などと猛烈に口説かれて、ドラフト1位選手を上回る好条件まで提示されてプロ入りを決断。
希望に満ちあふれて、ブレーブスのユニホームに袖を通した。
それが「監督には名前さえも覚えられていないし、背番号か、あんたってしか呼ばれなかった」というまさかの展開。
悔しい思いの連続だった。 「石嶺(和彦)がティーバッティングをしていて、それを(打撃コーチの)長池(徳士)さんが指導していたので、俺も教えてもらおうと思って、バットを持って待っていた」。
終わったタイミングで「長池さん、お願いします」と頭を下げると「おう、ボール、拾っとけ」。
言われた通りに動いた。だが拾い終わると、もうそこには誰もいなかったという。
「プロ野球って自身の力を発表する場所で、習得するのは見えないところでやるんですよ。人に教えてもらうのではなく、まずは見て覚える。そういうことなんです」。
屈辱的な気分だったが、切り替えるしかない。
とにかく練習するしかなかった。
だが、レギュラーの壁は厚かった。「必死にやったんですけど、福本(豊)さんとか簑田(浩二)さんとかを抜くのは難しいってだんだんわかってきて……。
1軍に行くと守備要員と代走要員。代打で出たらバント、バスターみたいな感じだった」。
そんな状況で時間が経過していった。
91年に土井正三監督が就任…送りバントでの“動作”が怒りを買った 阪急は1989年にオリックスになった。
その後、ブレーブスがブルーウェーブになり、1991年シーズンには元巨人のV9戦士、土井氏が監督に就任した。
「その頃は福本さんも引退していたし、簑田さんも巨人に行っていた。これがラストチャンスかなって思っていたんですが……」。
南牟礼氏は土井監督と波長が合わなかったという。
「正直、巨人の話ばかりするので、うっとうしかったんです」。
土井監督のノックも「ここは巨人じゃないぞぉ」とやじりながら受けていた。「みんなわーわー笑うし、調子に乗ってぎゃーぎゃー言っていたんです。
土井さんもどんどんエキサイトして、僕はレフトにいるのにセンターに打ったりしていましたね」。
そんな状況でも開幕1軍を勝ち取ったが、すぐに“事件”が起きた。
日本ハム戦の8回無死一、二塁。代打で出て送りバントに失敗。シフトを敷かれたため、いったんバットを引いてからバントを試みたが、うまくいかなかった。
試合後、コーチ室に呼ばれた。 部屋に入ったら、
土井監督から「お前、あれは何のサインや」と聞かれた。
「送りバントです」と答えると「ここにいるコーチ全員がそう見えないんだよ。俺のサインに不服があるのか!」と帽子を投げつけられたという。
そして「『俺の目の黒いうちは野球できないようにしてやるからな。覚悟しとけ!』って言われたんです」。
南牟礼氏は「あの時は、終わったと思った。女房にはクビかもしれんって電話しました」と振り返る。だが、この一件の後、“念願”がかなうことになる。
11/30(水) 7:10配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/d29b29d938af19737ff7a7295da29fd039760bdc
https://i.imgur.com/lrbPEWN.jpg
https://youtu.be/AD1D92ESdok
南牟礼豊蔵 中日
https://npb.jp/bis/players/31033865.html
成績
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